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2005年11月25日 (金)

記号化された視覚を疑う

展開の速い現代社会では、『感性を必要としない視覚の情報』にとらわれすぎて、生理的な嫌悪感とか、胸騒ぎのようなものを判断材料から除外してしまった結果、最近のニュースで取り上げられているようなミスが起こっているのだと思います。

視覚情報でも、美術や映画、読書や文章を書くなどの感性を伴うものもあります。

顔色や舌・爪・皮膚・姿勢などは指圧やマッサージに必要な視覚情報ですが、社会的な地位であったり、服装や容姿の良し悪しなど、触覚の世界では関係ありません。

速く処理するために記号化して、形やマニュアルにのっとってさえいれば通してきたことの弊害が、投薬ミスや、鉄筋の数を減らしたマンションなのだと思います。

カルテや設計図の中には、どんな数字を書き込むことも可能です。だからこそ想像力を使い、記憶や感情を呼び起こしながら時間をかけて仕事をしていかなければ、取り返しのつかない結果を生むことになります。

指圧・マッサージのタッチについて、いつも考えています。万人向けのものでなく、マニュアルにとらわれない、オーダーメードのベストタッチを、誰のどの部分にも続けていくということを。

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