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2008年3月27日 (木)

逮捕者の居場所を得たような顔を映すなと思う

 凶悪犯罪が続き、テレビでは逮捕者の居場所を得たような恥じ入った様子もない姿が映し出されているのを何度も目にして嫌な感じがします。

 自分で考えて道を切り拓くことのできない閉塞したマニュアル人間の鬱憤が犯罪に短絡し、自分で考えずにすむ場所を得られて安堵しているかのように見えます。

 テレビの映像からは、『まねをしてはいけない人なんだ』というイメージが受け取れないほど堂々として見えました。

 これでは自分でも実現可能なヒーローとして共感してしまう潜在的な模倣犯を作っしまうと思います。

 自分で人生を切り拓くのは大変なことですが、だからといって他人の命を奪っておいて、裁判で自分の人生を決めてもらえるからと安心するようでは困ります。

 指圧を受ければ犯罪者が減ると言った先生がいますが、他人の痛みを思いやるにはスキンシップが不可欠です。

 指圧を受けるのも指圧をするのも、痛みと向き合い、想像力を働かせるスキンシップの時間になります。

 タッチは犯罪の抑止力になると私も思っています。

 行き詰って犯罪に走った人たちも、丁寧な指圧やマッサージを受けた経験やしてあげて喜ばれたことがあったなら違っていただろうと思います。

 自分の体と向き合い、他人の痛みとも向き合えば凶悪犯罪は減るでしょう。

 義務教育の中に指圧やマッサージを取り入れたら、きっと違う感性が育つはずです。

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