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2009年6月 4日 (木)

しつこいようですが“痛気持ちよい”のイタはいらないということ。

 昨日有名な美容家の先生がお二人、別々のテレビ番組に出演されていました。

 おひとりは頭皮の、もうおひとりは顔と下肢のセルフマッサージの説明をされていました。

 そこで“痛気持ちよいくらいに”という表現をおふたりともされていたのですが、セルフマッサージなら自分で加減して、この“痛気持ちよい”のイタを取り除けます。

 メンテナンスをしてこなかったストレッチのされたことのない筋肉をいじれば痛くて当たり前です。

 だから始めは軽く、徐々に刺激を強くしていけば痛気持ちよいのイタは感じなくてすみます。

 タッチセラピストはまずそこから考え始めないと、痛みを持つお客様を思った以上に痛めつけることになります。

 決められた時間の枠の中で、健康で頑丈な方を対象のお話しだったとは思います。

 しかし私は痛みを抱えていない方にお会いしたことがありません。

 体の痛みであれ、心の痛みであれ、痛みの消えた時間を持つことに大きな価値があると思って指圧をしています。

 数をこなす施術がモットーで、相手が健康で頑丈な人だと信じて疑わないなら“痛気持ちよく”を続けて満足できるのかもしれません。

 自分のセルフマッサージに痛気持ちよいタッチでいい健康なセラピストは、痛みを抱えたお客様を痛がらせるようなタッチをしてしまうものです。

 痛気持ちよいに代表されるようなマイナス要因もあるのに“こんなものでいいか”という程度のタッチは、本当に苦しんでいる方には届きません。

 自分の愛する人、両親や家族が病に倒れた時、痛気持ちよいタッチをするセラピストでいいのか、それを考える中でタッチセラピストの向かうべき到達点が見えてくると思います。

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