「正」の語源は「一」度「止」まることではなく、「城に向かって進軍すること」。
ある住職が、お寺の庭を鑑賞する時に、『「一」度「止」まって考えてみると「正」しい在りようが見えてくる』というお話をされたので、なるほどなぁと感心していたのですが、調べてみると「正」の語源は「城に向かって進軍すること」のようです。
征服の「征」は行軍を意味し、政治の「政」は木で叩いて税金を取り上げることを意味します。
一度止まって考えるのと、進軍して攻め込むのとでは真逆ですね。
よく見て真実をとらえることが「正」の意味するところではなく、力のあるものが良しとすることが「正」になる、残念ですがこれが歴史的な事実のようです。
タッチセラピーの刺激量の正解は、動き続けながら瞬間的に判断していきます。
一旦止まって考えるのではなく、どこでも止まれる準備をした上で動きながら考える、そういう意味ではセラピストは病に対して進軍しているのかもしれません。
物足りないくらいが適量刺激だと私は講座で皆さんにお話しているのですが、「少し攻めてみる」ということもお話してきたつもりです。
施術中の全ての触圧刺激を変えてみる、刺激量、刺激部位、進入角度、どれもわずかな変化でいいのですが、有効な触圧刺激ができたのなら、それに続く次の有効な触圧刺激には、刺激の微調整があってしかるべきです。
城の攻略法の正解を求めて試行錯誤するのとセラピーは似ているかもしれません。
何度も言いますが、あんま・マッサージ・指圧理論でも、整形外科の先生の常識でも、炎症に対して強い触圧刺激をするということはありません。
こりに対して強い刺激をするのは攻め方が間違っています。
マラソンランナーの足底筋膜炎に対して、痛がって飛び退くような圧迫をすることがセラピーの世界の正解であるはずがありません。
健康な人の足底腱膜に対しても、痛がって飛び退くような圧迫は、体罰やいじめのようなものです。
こりに必要なのは血行を促す「手当て」です。
「手当て」は決して「ぬるい手技」ではありません。
手当ては単に手を当てておくだけではなく、動かせばいい、指紋部の手当ても母指球の手当てもできます。
タッチに愛があれば、「痛みを感じて」、ゴリゴリ圧し込めない部位には気づくはずです。
手技療法の理論を理解した上での手当ては、治療効果の高い、セラピーの根幹をなす手技です。
セラピーのプロフェッショナルが、一般の方の見本となるような治療効果の高い手当てを実践していくことで、介護をする家族の方の「マッサージ疲れ」を減らしていくことができると私は思います。
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