« ノルディックウォーキング、ポールを引きずるように歩くという最初の指導に納得。 | トップページ | インドネシア舞踊の手、手関節背屈+手指過伸展で「支える手」、しかし振り下ろせば攻撃の手。 »

2014年9月25日 (木)

「思い出のグリーングラス」が英語の歌詞では手触りの記憶だったこと。

  昨日、指圧に向かう車の中でFMから流れてきたジョーン・バエズ版の「思い出のグリーングラス」を聴いていて、「思い出」が手触りの記憶だったことに心を揺さぶられました。

 英語の歌詞は 「 It`s  good  to  touch  the  green  green  glass  of  home 」ですから、芝生の外にいて視覚に焼き付いた記憶ではなく、「庭の芝生に触れた手触りの記憶」です。

   夏の芝刈りの後の草の燃えるような匂い、足で芝生を踏んだ時の感触、「タッチ」という言葉によって頭に浮かぶ映像の距離がグッと縮まります。

   森山良子さんの歌う日本語の歌詞では「汽車から降りたら いつもの駅で 迎えてくれるパパとママ…」という故郷を想う甘酸っぱい幸福感のただよう歌という認識でしたが、調べてみると英語の歌詞では「死刑囚が監獄の中で故郷の夢を見た」という設定になっていました。

   原曲では看守に両腕をつかまれて死刑台に向かう描写をセリフで語り、最後の歌詞では「死体の私が故郷の人々に迎えられ芝生の下に横たわる」情景を歌っています。

   今までこの歌を英語の歌詞でちゃんと聴こうとして聴いたことがなかったので、黒人霊歌のような歌詞の内容にびっくりでした。

   グリーングラスの「思い出」が、「Touch」という触圧覚の記憶であることに気づいて、私は車で歌を聴きながら一瞬で芝生の手触りと草の燃える匂いに包まれていました。

|

« ノルディックウォーキング、ポールを引きずるように歩くという最初の指導に納得。 | トップページ | インドネシア舞踊の手、手関節背屈+手指過伸展で「支える手」、しかし振り下ろせば攻撃の手。 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「思い出のグリーングラス」が英語の歌詞では手触りの記憶だったこと。:

« ノルディックウォーキング、ポールを引きずるように歩くという最初の指導に納得。 | トップページ | インドネシア舞踊の手、手関節背屈+手指過伸展で「支える手」、しかし振り下ろせば攻撃の手。 »